韓国の前方後円墳 二
衝撃受け、現地へ飛ぶ
周濠・葺石の古墳、大陸では例外   森 浩一
 

 八月十五日、釜山の金海空港についた。大阪を九時三十分に飛び立って十時四十分にはもう韓国、もっと別の表現をするとユーラシア大陸の一角に立っているのだから、私の場合なら京都から名古屋や神戸に行くぐらいの時間だ。  きざに聞こえるかもしれないが、当節はやりのというか、日本人の研究態度としては当然だというか東アジアの中で物事を考えよう≠ニいう実践は、もう言葉だけで理想とする時代を終わりにして、せめて東アジアの範囲ではお互いに、名古屋へ行ったり神戸に出かけたりの気軽さで身体を動かす段階になったとおもう。これは喜ばしいことだが、姜教授によって前方後円墳の存在が指摘された固城の松鶴洞へは、私の知るだけでもこの半月間でもう十人ほどの日本人研究者が訪れている。 

 もちろんそのことは、固城の古墳がそれほど日本の研究者には衝撃だったことを物語っている。だからこの古墳について社会的に発言しようとする人なら、まず行ってみないと問題にならないし、少なくとも行ってみたいという衝動にかられることから次の研究がふくらむのである。  空港には五年ぶりにお会いする姜教授がむかえにみえた。車が動きだすとすぐ航空写真をとりだされた。それは私が推測していたよりもはるかに鮮明に前方後円墳の形があらわれていた。見事なものですね≠ニいうと、和泉黄金塚に似てませんか≠ネどと姜教授は矢継ばやに意見を述べられる。

 震動する車のシートの上は、説明の補助にと地名やら略図をかいたメモ用紙で一杯になった。私は馬山市を通って固城へと向った。  前方後円墳というのは、カギ穴古墳の名もあるように、平面形では円形と方形(厳密にいえば正方形ではなく長方形)が連接しているが、もちろん円・方のどちらが前後だったのかはわからず、前方後円墳とよぶのは、あくまで江戸時代の蒲生君平以来のしきたりである。  もう一つ注意しておいてほしいのは、日本の前方後円墳といえば、周囲に水をたたてた濠(ごう)があって、その濠がちょうど額縁の役割をして絵のように前方後円形の墳丘をきわだたせているものばかりとおもっている人がいないかということだ。私なども古墳の書物を作るときなどは、濠をめぐらした前方後円墳の写真をたくさん使いがちだが、前方後円墳に限らず、円墳や方墳にしろ濠をめぐらしたのは日本だけにあるのであって、東アジア的視野からは周濠のある古墳が例外である。  そのことをさらに細かく検討すると、日本列島で四番めの巨大な前方後円墳として知られている岡山県の造山古墳も、周濠はない。これなども、濠の有無だけについて大和の古墳に比べると見劣りするようだが、中国や朝鮮半島の古墳に比べると当たり前ということになる。今回の松鶴洞の古墳について濠をめぐらした美しいものですか≠ニ質問する日本人もあったのでそんなものがあれば今までにわかっているし、濠のない方が普通です≠ニ答えておいた。  ついでに説明しておくと、日本の前方後円墳の墳丘には、斜面を円|(えんれき)でおおう葺石(ふきいし)が必ずあるように錯覚して、葺石がなければ前方後円墳でない≠ネどと発言する人がいるが、日本の前方後円墳でも葺石をもつのは半数もなかろう。古式古墳として名高い奈良県の桜井茶臼山でも葺石はない。  馬山をすぎると、ときどき海が見え島の多い景色がつづく。魏志東夷伝のいわゆる倭人伝の書きだしに郡(帯方郡)より倭に至るには海岸にしたがって水行し、韓国をへて、あるいは南し、あるいは東し、その北岸狗邪韓国に到る七千余里≠フ文章をおもいうかべていると、間もなく固城郡に入ります≠ニ姜教授の声がした。 (同志社大学教授・考古学)