美の脇役 二一
吉村邸の勝手口 静かなる共感
民家の美しさは、人間の生まれながらにもつ美の感覚が実際の生活を通じて表現されたところにある。それは暮らしの経験から自然に生み出された美である。そこにはむだもないし、わざとらしさもない。生きるためのありのままの姿が素直に表現されている。素ぼくではあるがかえって静かな共感をわれわれにもたらしてくれる世界の中で日本の農家が一番美しい。その中でも近畿平野の民家の美しさは格別である。それは近畿平野の自然美と、経済的豊かさがもたらしたものであろう。かかる風土の中で創造されたものが、大和から河内にかけて見られる大和むねの民家である。
この大和むねの代表的な民家としては重要文化財の吉村邸がある。別むねの座敷の欄間と、ふきよせの障子、そこの長押(なげし)の一つ一つ異なったクギ隠しは、意匠を凝った優品として有名である。それをカメラに収めるべく訪れたのであったが、見ているうちに、だんだん心に隙間を生じはじめた。ふとその時わたしの心をかすめたものは、この欄間と障子とが、吉野の吉水院の書院の意匠と同じであるということであった。大庄屋としての経済力が、この贅(ぜえ)を許したのであろう。
わたしは靴をはいて外に出、長屋門の所に立った。母屋が視覚一ぱいに入る。厚いカヤ葺き、その下の本瓦の屋根が白い壁面を真横に切断する。正面の重厚な勝手口、あらい格子と二つの小窓、その空間をみたした柱と飾貫との交差する繊細な美しさに、思わず見とれてたたずんだのである。
以前この飾貫は腰板で隠されていたが、復元修理の際に、ぬりつぶされた壁の中から発見されたものであった。それは彫刻の美ではない。ただ柱と飾貫との平凡な組み合わせがもたらした素ぼくさの中に、たくみに線を生かした建築の美であるといえよう。こんなところに工夫されて、日本の民家の美しさができているのである。
(大阪学芸大助教授・鳥越憲三郎)