美の脇役 一二
唐招提寺講堂菩薩頭
 斜陽の哀愁  

 早春の大和路は修学旅行の団体でにぎわう。幾台も幾台もの大型バスが砂けむりをまき上げて行きかうさまや、 淡い春光を浴びてちょっとしたビル街の縮図を想わせるようなバスの駐車風景は全く壮観である。観光地にとってはまことにありがたやありがたやの現象といわざるをえない。 「国破れて山河あり」とは杜甫の名詩だが、「国破れて寺肥ゆる」とはいい当てて妙である。観光ブームに遠忌の交差した寺院は全く笑いがとまるまい。 十六年前の敗戦というきびしい現実は人間世界に種々の様相を描き出したが、斜陽族の出現もその一例であった。 虚実の権威と虚栄の座から振り落とされた斜陽人には詩もなく美しさも求められないが、彼等の信仰を集めていた仏像などにそれらが感受されるのはいとも皮肉である。 奈良朝末から平安初期にわたり大和平野の一隅に堂塔伽藍の美を誇った唐招提寺、その一堂の主尊でもあったか、あるいは脇侍でもあったかもしれないこの菩薩頭。 その昔、多くの迷える人々が足下にひれ伏して切なる願いを日毎、夜毎に訴え、それらを聞き届けた当時の面影は今は見る

べくもない。秘めたる美しさを持ちながらも乾漆ははく落し、ヒノキの木心が露わになり、 向って右の眼と小鼻は欠けてさえいる。  木心部に大きく内刳(うちぐり)をつくり、乾漆をもって眼などの細部を送り出す木心乾漆仏であるが、多くの観覧者のうち幾人がそれに気をとめるだろうが。 観光期に入ると幾百、幾千の人々が毎日この仏頭の前を去来するが、人々の視線は完形の仏像にのみそそがれて斜陽の仏頭に足をとどめる者はすくない。 講堂の片隅に安置されているものの、俗人に見おろされる現状は、仏頭にしてみれば、往時茫々----感慨無量なものがあろう。長い歳月の風雪にめげず、 また宗派の興亡にたえて、完うした苦節は、物静かであるがきびしい表情にしみじみとうかがわれる。人波がひいて堂内ようやくひっそりしはじめるころ、この仏頭の前に歩を運べば、私はいつも無性に労わりの言葉を捧げたくなるのを禁ずることが出来ない。 (一九六一年?月?日 新聞の切抜き記事より)  

(国立奈良文化財研究所技官・守田公夫)