美の脇役 一三
多武峰十三重塔 奇抜な夫人帽
談山神社の社殿や塔を下からまともに仰ぐ南側に六条篤君の家があった。その家は今でもあるが寺院風の品を備えた古い家である。
しかし主人公であった六条君はいない。終戦の年の一月かに病死した。彼の家は代々多武峰の僧侶であったが、明治の廃仏毀釈のおり還俗した。一山の僧侶中でも有力な地位にあったと聞いている。
この六条君は、その頃の言葉で言えばハイカラよりはモダーンであった。三十一文字ならぬ非定形の歌を作り、古賀春江やまたは川口軌外風の抽象画を描いて毎々独立美術展に出品していた。在る時、絵の方はともかく、歌は三十一文字がよいと言ったら、あの十三重の塔のようにですか、あれを朝夕見ているとひっくり返したくなるのですよ、と笑って答えた。昨秋久しぶりにこの神社に参詣したが、そんな二十年前の六条君を思い出して感慨があった。
さてこの塔だが、年がら年中朝夕これを見ていたのでは六条君ならずとも私だってひっくり返したくなるかも知れない。それほど均整がとれている。美しすぎるぐらい美しいけれど、それが檜皮葺木造十三重塔という他に違例のない希少価値と友になおのこと美しく思われる。
けれど再建また、再建の運命を負って来た塔だ。時代の若いのは分かりきっている。それでも鎌足の子定慧が唐の清涼山宝池院の塔を模したとあるからには様形式はそのまま承け継がれ、その結構は創建当時のものと大して違わないのではないか。私は世にも不思議な塔としてこれをこよなく珍重する。
初層の屋根の特に広くて大きいのは、その上に十二層の屋根をのせるためだ。屋根の勾配ははなはだ緩く、各層の間隔は極めて狭いからまるでお祝いの大杯を積み重ねたようである。又あるいは見方によってはこの写真のように、どこやらの国の冠とも見られる流行夫人帽みたいでもある。けれどこのような奇抜な夫人帽はよほどのおシャレ、よごどの美人でないとよく似合わない。多武峰は
この奇抜な塔を置いて、しかもそれが少しも奇抜な感じを与えず、当り前とも思われるほどに調和して、末世の詩人たちをして説きにひっくり返したくさえ思わせるのだ。
(歌人・前川佐実雄)

多武峰十三重塔
奈良県桜井市多武峰にある高さ一六・一b、桧皮ぶきの塔。重要文化財。藤原鎌足の霊をまつるためその子定慧が、紀元六七九年妙楽寺ガランの一つとして建てたのが開基といわれる。興福寺との勢力争いのたびに、興福寺の僧兵により焼かれたほか、南北朝時代の兵火にも見舞われ、現在の塔は、室町時代末期に建てられたもの。樹齢七、八百年の老杉のなかにそびえる姿は、歴史の変転を、ものがなしく訴えて十分である。