美の脇役 九
東福寺方丈の庭 浮世離れた空間の虚実
東福寺のガランとした赤土の山内、禅堂のいらかは、まったく雄大である。ただ、観光ルートから忘れられたのか訪ねる人はまれで、数人の子守と子供たちが点々と寺内でスケッチをしていて、私を物珍しげに眺めていた。
昭和最大の木造建築という伽藍は人の気配もまばらで、一山数千の雲水もいまはなく、雪舟や兆殿司の影もない。そのつややかな観光施設がないところがかえって、私の子供のころの寺を思い出させて懐かしい。
方丈北側にあるこの市松模様の石庭は、浮世ばなれしている。私が訪ねたのは、つい先日だったが、いま豪雨で通天橋が崩壊したというテレビニュースを聞く。杜甫ではないが、洗玉潤の水荒れて、世のはかなさが身にしみる思いがする。
その昔、聖一国師ゆかりの東福寺は五十尺の本尊をようし、京都最大の禅寺であったのが惜しいことに明治十四年、庫裏から火が出て回廊に炎がめぐり、山門をのぞく名建築は焼け落ちてしまった。いまの大伽藍は、大正、昭和にかけての再建という。
そのなかで方丈の庭は、重森三玲氏の作で、ちょうど二十年の月日が過ぎている。だから京都ではごく新しい庭だが、形式は枯山水で室町時代の調子のものだ。
また四角な花コウ岩の切石が線のじゅうたんのような杉苔の森に埋もれて、整然と市松模様を形成している。アプストラクト・アートとま正面から取り組んでいて、モンドリアンやニコルソンに見せたい風情である。
彼らはきっと「ひじょうにしゃれたアートだ」と思うだろう。たとえばベン・ニコルソンの庭が砂と芝生なら、これはもっと色の深い杉苔と石のコントラストである。
モンドリアンの四角がメチエそのもので、四季に色彩が変化する巧みな構造である。
石の水平と苔の垂直、鉱物の剛体と苔の柔らかい感触、さらに市松模様の緑が次第に遠く狭くみえる遠近効果の逆用など、日本人的なうまい空間造形である。とくに微妙にはずされてゆく石畳の虚実は外国人にとっては驚異的な技巧といえるだろう。
それが日本では「ああ、これが市松模様だな」と感じない人も多いだろう。日本人の感覚が伝統に甘えて頭がぼやけているのではなかろうか。
寛保年間、京の歌舞伎名優の佐野川市松が水もしたたる小姓姿で江戸の舞台に紅白の元禄帯元禄脚はんをつけて現れて天下の女たちを魅了した。この時までこの正方形の模様はただ、石畳とか元禄とよばれていたにすぎなかった。
それが名優の着こなしがうまかったのか、この模様の美しさが再認識されるようになり、それからは市松もようといって大流行したという。
実は、この模様は五千年も前に、エジブトの壁彫に現れているし、中国、朝鮮では敷瓦の模様、甃(しゅう)文、石畳などと呼ばれてきたものなのだがそれを巧みにはずして虚実、空間の対立へ展開したところに日本人の知恵がある。その美的な知恵のまわり方、器用さがよいのか、悪いのかはともかく、東福寺では成功している。
(一九六一年?月?日新聞切抜き記事より)
(文化財保護委員会専門委員・竜村譲)
◇東福寺 臨済宗東福寺派大本山で聖一国師が開基。九条道家が九条家の氏寺にするため奈良東大寺と興福寺の各一字をとって寺名とし建長七年(一二五五)に完成した。以来禅宗の大道場として京都五山の一つとなった。明治一四年に火災にあったが、国宝の三門(山門)はじめ東司、選仏堂、月華門など古建築がある。開山国師、画聖兆殿司を中心とする鎌倉、室町期の国宝、重要文化財が多い。