美の脇役 二九
東大寺轉害門蟇股
 天平のいぶき秘めて  

 東大寺には現在二つの壮大な門がのこされている。南大門と轉害門(てんがいもん)がそれである。 南大門は大仏殿の南正面二百bほどのところにあり、拝観者の出入りする玄関にもなっているので、よくご承知のこととおもうが、轉害門をたずねてくれた人は少なかろう。 境内の西、正倉院宝庫の西北にあり、ここからいにしえの奈良の都一条大路がはじまる位置である。
 創建は、大仏殿の建立と相前後して天平勝宝三年から八年の間になるものと思われるが、たしかなうらづけはない。天平勝宝元年十二月二十五日、大仏さま鋳造の守護神として、 宇佐の八幡神が東大寺に勘詔されたとき、みこしは、一条大路からこの門の付近を通ってこし入れされた。八幡神のおかげで大仏はめでたく落慶開眼したので、 のち若草山ろくの手向山に鎮座され現在にいたっている。
 轉害門は三門一戸、切妻造り。八脚門の威風は、南大門とは趣きを異にした重量感をもって迫り、千二百年の風雪に耐

えた巨材は風化した素はだながらも、斗きょう蟇股(かえるまた)のたくみな構成が尽きぬ趣のなかにガッチリと大屋根を支えている。 大仏殿、二月堂、三月堂、戒壇院など拝観、観光のはなやかなブームの中では、いきをひそめた存在であるが、 このあたりにこそ奈良時代のいぶきがなまのままひそんでいるのではなかろうか。平重衛の乱で焼亡後、再建された大仏さまの供養にと、 建久六年万余の騎士をしたがえて参拝した源頼朝は、この門のかげにひそんでいた悪七兵衛景清にねらわれながらも事なきを得た。その名轉害門にふさわしい伝説の一つである。
 ここから歩を平城宮跡にむけて進むとき、聖武帝や光明皇后の聖跡もしのばれて、歴史への興趣はつきない。忘れ去られた存在の中から、 むかしのにおいをかぎ出し、思いをかよわす、そしてあらたな時代的意義を見出していく。文化の日にあたって、この心がけを再確認している私である。 (東大寺長老・筒井英俊)