美の脇役 一〇
東大寺大仏殿の鵄尾
 殿 上 の 垂 訓  

 しび(鵄尾)はもともと漢・唐時代から災禍をまぬかれるために、宮殿の屋上に置かれたものだったが、それがやがて、寺院の上に置かれるようになったものらしい。 現在の大仏殿屋上のしびは、明治の大修復のとき、据えられたもので、その殿堂にふさわしい大きさをもって、大屋根の上に東西一対、金色さんぜんとしている。  私は小僧の時から、大仏様を拝み、大仏殿を見た。夜空に、風雨の中に、また青空にくい入るような金色のしびを見上げながら、仏都盛んなりし千数百年前の夢を見ることがある。  大仏様も、大仏殿も、私など毎日見なれているため、さして見た目には大きいとは思われない。ここに参拝する人たちもやはりみな、そういう感じを受けているらしい。しかし一たん、 大仏殿に近づけば近づくほど、この殿堂は大きくなり、また大仏様は、ひざ元へ行けば行くほど、大きくなるのには驚かされる。  あまりけたはずれの大きさとか、歴史というものは、われわれの感覚を無視してしまうのだろうか。 われわれには、立派な人ほど一見なんでもない人に見え、中途半ぱな人が一見 立派に見えたり、見せられたりすることが

よくある。天平の文化はいまだにこうしたことを、われわれに日夜、無言で教えている。(一九六一年?月?日 新聞の切抜き記事より) 
 (東大寺宝珠院住職・佐保山 海) 

大仏殿 東大寺の金堂。天平十三年(七四一年)に聖武天皇が国分寺建立を呼びかけられ、同一五年大仏を鋳造、同一七年には天皇みずから土を運んで仏座をきずいた。 天平勝宝元年(七四九年)大仏が、同三年には大仏殿が完成したので同四年四月九日大仏開眼。しかし、斎衡二年(八五五年)には地震で仏頭が落ち、 治承四年(一一八○年)と永禄一○年(一五六七年)の二回、火災にあい大仏殿は炎上した。いまのは宝永五年(一七八○年)に公慶上人が再建したもの。 一重もこし付き、寄棟造り、本かわらぶき、正面唐破風造り、棟の両端に高さ約三bの金色の鵄尾がある。創建当初にくらべるとかなり小さくなっているが、 いまも世界に残る木造古建築中最大のものである。本尊の盧舎那仏の坐像も高さ一六・二一b、重さ約四五二dで鋳造物としては世界最大。