美の脇役 一六
修学院離宮の一二三石 小石と悟り 
ずい分大がかりな別荘をつくったものだと入口でまず驚きながら、下の離宮、中の離宮を経て、雄大な雑木の刈り込みの生垣の間を息をはずませながら登りつくと、
上の茶屋の隣雲亭である。隣雲亭の上がり口は、さのみ大きくはないが、回り縁のその下敷きは白しっくいでぬられ「くつ脱石」と「敷き瓦」につづいて、
一二三(ひふみ)石がちりばめてある。その石は一つは赤、二つは青、三つは黒の小石を組み合わせて、白地絣(かすり)の模様にしたらよさそうである。
この離宮は後水尾上皇別荘であり、土地の古老は、今もって昔風にここを「すがくいン」とよぶ。この修学院がそのかみ官寺となったのは平安の一条帝の時で、
修法に秀れてかの横川の恵心僧都と好敵手であった勝算の住するところであった。その後、星霜を経てその焼け跡に離宮が営まれたのは、今から三百年あまり昔のこと。
聡明な文化人であった後水尾上皇を恐れて、徳川幕府はご機嫌むすびにこれを寄進したという。
この上の茶屋の隣雲亭は、離宮の一番高地にあって、天下の絶景を一望におさめ、京の北山西山ともにあわせ望むことができる。
の景色をのぞむ立場が一二三石の白地のしっくいである。私はここに立つと、絶景と一二三石と、それは上皇の思召しか、
作者の考えか、心あってかなくてか、天台にいう「一心三観」の法門から、景色の実相をながめる嗜好(しこう)に見えてくる。一二三石とは空観、仮(け)観、中観で、
この三つが一つの白しっくいで連なり一心のしっくいは、三観という三つのものの真の見方となり、広範(こうはん)な景色は、その実相をあらわしてくる。
やさしい小さな一二三石が、天下の絶景をうつすところ、それは老僧ひとりのうれしさといわれようか。
(曼殊院門跡 山口 光円)
修学院離宮 この離宮は京都市東北部の比叡山ろくにある総面積二四五七eの大きな山荘。後水尾上皇がみずから設計され、
万治二年(一六五九年)に完成した。上皇がなくなられてのちは荒れはてていたが、その後修理され、いまのは文政六、七年(一八二三、一八二四年)のもので、
隣雲亭もそのころの改造による。隣雲亭からは京都の市街や嵐山、遠く生駒山がのぞまれ、霊元上皇はこの茶屋の前に立って「おちかたの山より上に雲よりも白きをみれば淀の川水」
とよまれた。一二三石は黒色は加茂川、赤色は鞍馬山から集めてきたともいわれている。