美の脇役 三二
妙心・南禅両寺に残る桃山の絵 ヒョウを想像した古画
トラの絵といえば、新しいところでは、江戸末期の岸駒(がんく)やその系統をひく明治時代の岸竹堂(きちくどう)の絵を思いおこす人が多いだろうが
飛鳥時代の作とされる法隆寺蔵玉虫厨子の装飾画「捨身飼虎図」に見られるトラは、日本の絵に現れるトラとしてはもっとも古いものであろう。
近ごろは、外国からトラが輸入され、動物園へ行けばだれでも見られるが、むかしは朝鮮や中国からきた絵画からトラの姿を知って描いたわけである。
仏画の釈迦涅槃図にもトラが描かれているが、さすがにこの猛獣も涙を流して釈尊の死を悲しむしおらしい姿を見せている。仏画以外にも大和絵の絵巻などにトラの出てくるものがあるが、トラ本来の威力ある姿をとくに好むようになったのは、戦国時代の武人たちからで、画家は宋元画のトラを手本に多くのトラの絵を描いた。そして織田信長の安土城以来、多くの城郭が英雄たちによって築かれるようになると、かれらは城内殿舎の障壁に群虎を描かせて大いに自らの威力あるところを誇示することが流行した。京都の二条城、西本願寺、南禅寺などでは、そうした英雄趣味にもとづく障壁画のトラが今でも威勢のいい姿を見せている。しかし私は思うのだが、このようなトラの絵のあるお城に参候したさむらいたちの中にも、例の戦国策に見える「狐、虎威をかる」の故事を知っていて、ひそかに皮肉の笑みをもらした連中もあったかも知れない、と。
ところで、むかしはヒョウ(豹)をメスのトラと心得ていたとみえて、トラあるところにヒョウを配した図が非常に多い。メスの虎としてのヒョウ、さすがにトラより形が小さく、
いつでもハズのそばに寄りそうワイフのやさしさを示している。ここに写真を載せた妙心寺の竹虎図屏風や南禅寺の群虎図ふすま絵にも、
そうしたメスのトラとしてのヒョウが描かれている。
(京都工芸繊維大教授・土居次義)
京都妙心寺蔵・竹虎図屏風(金地着色)
この竹虎図は、雲竜図と一双をなし、筆者の落款(らっかん)はない。古くから桃山時代の巨匠海北友松(かいふゆうしょう)の筆と伝えられているが、作風から見ると、
同時代の狩野山楽の筆と認められる。このころのトラの絵としては非常に写実感の豊であるのが特色である。

