美の脇役 二〇
京都島原輪違屋のガス灯
 リバイバル・ブームの影に  

 この風景は、チンチン電車の走る音もきこえてきそうな、明治の京都である。  そのチンチン電車も、この夏のさなかに堀川通りから姿をけしてしまった。岡崎のインクラインも船台とレールだけが赤さびてのこっている。 リバイバル・ブームといっても、町のたたずまいからは、明治の面影もきえうせて、こんなガス灯も、ほかにはみられなくなった。カメラがひきつけられた貴重さであろう。  そのガス灯と行灯(あんどん)が重なりあっているところが面白い。江戸時代からの行灯に、明治のガス灯がせり出したのである。 そのせり出し方がいかにも島原の廓(くるわ)と角屋とならぶ古いこの置屋(おきや)の歴史をものがたっている。維新の廃娼令で、ひとときは島原もさびれはてたが、明治の時代は、 もういちど、その廓を活気づけた。多分そのころせりだしたにちがいない。そして今日は、そのころとはうってかわった廓の細道を、

ガス灯のなかにはいった少々明るすぎる電灯の光りが照らしている。  出口の黒門や胴(どう)すじの柳をみていると「うっとりと酔うて夜長の太夫かな」という句を思いだした。 その太夫はんも、いまはガス灯ほど貴重な存在である。夜ごとに気ぜわしく訪れる観光客を相手にしては、うっとりと酔うひまもないかもしれぬ。 しかし、このドッシリとした連子(れんじ)構えの青楼の奥には、マリア灯籠と陰陽をかたどった庭石が秘められている。そこにはやはり明治をこえた古い都の年輪がほのみえる。
     (成安女子短大教授・森竜吉)

わちがいや(輪違屋)  京都市下京区島原仲の町にある。江戸時代から残る古い置屋で、この家も一八五八年(安政五年)に建ったという。太夫は置屋にかかえられ、角屋のような揚屋(あげや)に招じられて客席にはべった