美の脇役 一九
郡山城の逆さ地蔵 古文化を積みあげた石垣 
私は城が好きである。旅をして汽車の窓から城が見えると体中がぞくぞくするくらいだ。
よく映画でヨーロッパのどこかの丘陵にそそりたつ古城の風景が映し出されるともう映画の筋よりもスクリーンの城に
くびったけになる悪いクセもある。だがどちらかというと日本の城のほうにより魅力を感ずる。
天守閣はあるにこしたことはないが、石垣だけでも結構うれしくなるくらい城が好きなのである。
菜の花の中に城あり郡山―― いま住んでいる大和郡山の城は天正十三年に豊臣秀吉の弟秀長が大和、和泉、紀伊の太守となり郡山城に封ぜられたとき大修造を加えたもので、
戦国の世にありがちなすごい突貫工事だったらしい。工事に使う材木を切るために大勢の人足が信貴、生駒山麓の大森林に入ると森全体が鳴動し出した。
神の祟りと恐れ逃げ帰った報告を聞いた秀長は兄に他山の樹ではと伺いを立てると「雲上、大地ノ底ニ至ルマデ太閤ノ命ニ背ク者ナシ。
狐狸妖怪ナニホドノ事ヤアラン、大和、和泉、の男女、十五歳ヨリ六十歳マデノ者、一人残ラズ出デタチ一挙ニ切取リ候ヘ」というきつい手紙が返って来た。
驚いた秀長は三日の間に信貴、生駒の山林を丸坊主にしてしまった。こんな調子だから石垣は石棺、
墓石、伽藍石、五輪塔、石塔と石と名の付くもので使えるものは手当たり次第に積みあげた。
この写真がその石垣の一部である。中央に時代は鎌倉と思われる地蔵さまが逆さになって積まれている。ジッと見ていると気の毒でたまらない。
大正の頃までこの間に石が詰まっていたので誰も知らなかった。地震か何かのハズミで間の石が崩れ落ち、この地蔵さんが姿を現した。
今では「逆さ地蔵」といってお参りする人も多い世に名城と称されるものはいろいろあるが、さながらわが国の仏教美術として残る貴重な石造物が、
そのまま石垣の中にチリバメられたこの城などは、古美術を愛するもっと多くの人々に知って貰いたいものである。 (裏千家業L躰・写真家葛西宗誠)
郡山城趾 奈良県大和郡山市にある。はじめ小田切春次が築城し、のち秀吉の弟、秀長が城主となったが、関ヶ原合戦以後は徳川方のものになった。
享保九年、柳沢氏十五万石の居城となって維新を迎え、城は明治のはじめにこわされ、現在は石垣と外濠がのこっている。本丸および二の丸のあとは天正十四年、
秀長が多武峰から移し植えたという桜の樹が多くありこの地方の桜の名所として知られている。