美の脇役 一八
桂離宮新殿板戸引き手 簡素のよろめき 
心の中にガラクタ然としたオリがたまると私は桂離宮に拝観を願い出る。物≠豊にしてさもしい思いで暮らすよりも、持ち物を極端に少なくし、
同時に過剰な装飾的な一切を捨て切り、単純で簡素な生活をしていたからだ。
たしかにこの離宮に足を一歩入れると、簡素への渇望はたちどころに癒(い)やされる。しかもそれは逃避という卑怯さではなく凄い抵抗と破調のエネルギーにあふれている。
茶室外掛前の蘇鉄(そてつ)群、古書院御興寄の構成と切支丹灯篭、松琴亭の市松模様の襖(ふすま)月見台などである。これらの意匠は趣向をこらしたというなまやさしいものではなく、
豪華を捨て、簡素に生きようとする不退転の決意の表明である。曲線に対する直線の支配。木割の破壊と格式分割を捨てることで自由な生きた空間が生まれ、
階級性とはん雑なゴタゴタした装飾性も消えた。
しかし権力に支えられた東照宮の豪華に対決した簡素への節操を、果たして最後まで貫き通したであろうか。
古書院中書院につぐ新書院の建て増しは桂離宮の外観意匠の必然的完成である。だがこの完成は、桂が出発
の当初ただ一筋にねらった簡素への要求をみずから否定する結果になりはしなかったか。「逆に出る」ことはもとにもどることである。
簡素な意匠をもとめ、一切の栄光からみごと脱出したごとく見えた桂の構成は二次三次と造営が進むにつれて再びひそかに捨てたはずの華麗なものがリバイバルされている。
新御殿の桂棚、上段の間書院、水仙釘隠、ともえ字崩欄間、そしてこの杉板戸引き手の華麗な意匠である。
引き手をそれだけ見れば黄金分割による幾何学的に整理された空間構成で桂にふさわしい理知的な簡素さをたたえている。
藤のデザインなど当時としては思い切った新鮮な発想かも知れない。しかしこの飾りは明らかに簡素への背徳である。豪華という勲章は捨て切ったつもりでも、
いつかひそやかに復活しどこかで息づいている。そういうものなのか人間のいとなみとは。ともあら、この引き手は簡素のよろめきによるもの。美しい不倫の魅惑ある意匠である。
(奈良学大教授・寺尾勇)