美の脇役 八
奈良春日山の石窟仏 決然と滅びゆくもの
堅き石に刻むものこそ幸いなるかな。みほとけの姿をせめて滅びない石に刻み残そうとするこころは永遠への思慕にもえる求道者のペーソスである。しかし、その一番確実なはずの石さえも刻々と消えて行くのである。約束の崩壊である。
どんなことをも信じやすい人々に、なに一つ永遠と名づけるものはこの世にはありえないことを教訓するために、これら石仏群は黙然と滅び支度のすごさに身をまかせている。さきごろ、大阪で展覧された二人の西欧の彫刻家がある。ザッキンの精神のくぼみを持つ母子像を見てさわりたくて仕方がない、と訴えた人もあれば、何かコツンとしたものを持つムーアの刻んだひさの上に抱かれたいという人もあったが、この石仏群は触れれば音もなくくずれ去るし、一歩近づけば鬼気迫る死相を露出するので、ただぼうぜんと対して見つめるのほかはない。前衛派などというなまやさしいものでもなけれなければ、彫り方や衣紋がどうのという一切の意味というものからは無縁の、
一塊の風化した泥のかたまりに過ぎない。その上この石仏のあるあたり、奈良の都を離れて緑も濃い春日山奥で、わざわざ訪れる人もない。自然の風化と人間のいたずらを防止するため、管理者である営林署の好意でつく
られた大きなトタン屋根と金網がこれら石仏の親衛隊である。この金網につかまって中の石仏をみているとどんなダンディもチンパンジー族かターザンになりさがる。決然と滅び行くものの前にうろつく中途半端な人間は遂には一個、半個の道化師にすぎない。この仏たちだけは滅びをむしろいのちとして刻まれたもの。滅び切るものだけが新しいいのちの胎動を自らのうちに宿すことができるはずだ。このゆえに、みほとけよ安らかに滅びたまえ。
(一九六一年?月?日新聞切抜き記事より)
(奈良学芸大教授・寺尾勇)
◇春日山石窟仏 奈良市高畑町奥山にある滝坂の三尊磨崖仏、地獄谷石窟仏など三石仏の一つ。東窟と西窟があり、間口四、高さ十五、奥行二bのイワヤで、壁面に多聞天、阿弥陀如来、対日如来なあど仏、菩薩の群像がこまやかな流麗な線できざまれている。しかしそのほとんどが欠損し、一部はまったく崩壊している。中尊の壁面に「久寿二年八月二十日始之作者今如房」「保元二年大威丁丑二月二十七日仏造如四月二十一日開眼」と墨書してあり、久寿(一一五五年)から保元(一一五七年)の間に造像されたことがわかる。