美の脇役 二二
観心寺書院の格子欄間 幽暗を開く光明
密教の、ことに真言の寺院には、一種独特の幽暗さがただよっている。観心寺もその例外ではない。南北内乱期に建造された荘重な輪郭をもつ本堂の、
うすぐらい内陣で、参拝しながら、この暗さはどこからくるのだろうかと考えてみた。ひとつはそれが、うっそうたる山林の中にあるせいもあろう。第二は、密教には、
はげしい練業や神秘的な行事や、難解な理論がつきまとうためでもあろう。そして、とくに観心寺の場合には、南朝の哀史というものが、なにかしら襟(えり)を正させるものをもっている
ことによるのであろうか。 こんな感じを心に抱いて山門を下って本房の書院に入るとそこには、いままでのふんいきと異質に近い明るさの気配のあるのに驚かされた。それはちょうど澄明といった感じである。
この書院をも含めての一画の建物は天正ごろの建造とされるが、それはまさに桃山文化のエッセンスの一つで、この明るさは
桃山文化の性格から生まれたものであろう。桃山文化といえば豪華けんらんそのものであって、
一面では黄金をぬりつぶした俗悪さがあるが、他面では、闊達(かったつ)な時代の落ち着いた、いかにもゆとりのある、しかも開放的な趣をもつものである。
この書院はその一端を示したものであろう。そしてこの落ちついた明るさを結晶しているのが、一面に格子模様でいろどられた欄間の結構である。
この十三種類あるといわれる格子欄間は、いずれもすぐれた格調をもち、宗教的な匂いはほとんどない。この書院の製作者の名は全く伝えられていない。
が、幽暗と光明の美の対極を考えた作者は、なかなかの芸術家であったようである。
幕末に挙兵した天誅組の志士たちは、観心寺で勢ぞろいをした。かれらは大楠公首塚の前で結盟式をあげ、ここの書院で昼飯をくったのち、金剛の山あいをこえて、
大和の五条代官所へ斬りこんだ。気負いたった志士たちが、血の潮騒をまえにして、ここである種の心のやわらぎを感じたかあどうか、しかしそれは知るすべもない。
(大阪市大助教授・原田伴彦)