美の脇役 一四
石山寺多宝塔の柱画 鮮烈な慈悲のかげ
わが国多宝塔中の秀逸とされる石山寺の多宝塔は、境内最高所にあって、中には大日如来が安置されている。
いまから約八百年のむかし、源頼朝が兄の悪源太義平とうばの亀ケ谷禅尼のぼだいのために、天下の名工を集めて建立したものである。
写真はこの多宝塔内の柱画で金剛界三十七尊の図で郎澄律師の筆になると寺伝されている。むかしは塔のとびらがみな開放されていたために、損傷はなはだしく、比較的はっきり残っているのは、この軍茶利明王(ぐんだりみょうおう)だけといっていいかもしれない。
明王というのは、たいてい忿怒にもえる一種の鬼形(きぎょう)をしておられるが、実はやさしい仏様の変化の相であって、いかなる迷愚、悪徳の者も、悟りの世界に導き、しあわせを与えずにはおかないという仏様の慈悲の強力な意志と活動力とを表わしたものである。
郎澄律師は、多宝塔が建立された鎌倉初期に石山寺に在住された学徳すぐれた高僧で、石山寺中興の祖であるが、その入寂のさいに「我必ず鬼形を現じあまたの異類を具足す。かつはこの聖教を守護し、かつは非法の輩を対治すべし」と遺言された。
石山寺縁起絵巻には、裏参道の老杉の枝にどっかと座して、下界を睥睨(へいげい)している恐ろしい青鬼の姿が描かれているが、事実その滅後「常に律師の霊鬼現じて不思議の事多かり」と伝えられている。
以来石山寺では、六月十四日の命日に、毎年法要が営まれるが、戦後は一般の地元の人たちや観光客にもその徳をわかつため、鷲尾光遍現座主が律師の讃偈(さんげ)を作詞されたものに作曲、振り付けをした青鬼踊りを中心とする青鬼祭りが盛大に催されている。
このみずから鬼形に変じた律師の筆になる忿怒形の軍茶利明王だけが、いまもあざやかに残っているところに何か一脈、律師の意思のつながりを感じさせられるものがある。
(鷲尾隆輝・石山寺副座主)

石山寺 大津市石山にある。天平勝宝元年(七四九年)僧良弁の開創といわれる。山内に奇岩多く、月の名所として知られる近江八景のひとつ。本堂、多宝塔をはじめ国宝の建て物、仏像仏画など多い。塔は日本最古の多宝塔建築とされる。