美の脇役 五
法隆寺金堂釈迦如来天蓋 原始のおしゃれ 
秋になると人は急におしゃれづいて来る。が、おしゃれの正体はなにか。以下その断章。
第一章、さりげなくということを字引で見るとさらに気色なしとある。何かありそうでじつは何もない。あったとは見えないの意。ところが「女の勲章」という小説を書いた天性は凝り性らしい女流作家が文章の上ではだらしないほど反復乱用した目ざわりな語彙(ごい)に「さりげなく」がある。この小説の場合はいつも何もなさそうに見えてじつは何かがあることを意味している。ありそうでない、ないようである虚実の不思議な浸透がおしゃれの出発である。
第二章、源氏物語の中で一番心ひかれるのは「きのみだれ」に紙一重の境である。すきを西鶴流の好色から区別するものは心の限り享楽におぼれ楽しみながらしかも節度と秩序に支えられた自制心が厳と支配する遊び心である。これが一度乱れると后の宮が義理の子と、また妻が夫ならぬ男と深刻な系譜を描き出す。このすき心の底にひそむ不思議さを訪ね求めた末に利休の数寄の、りこうになくぬるくなくと
いうわび茶の境地がうまれる。枯木の雪に折れたるごときすねすねしき点前の中にまた、しおらしき効をなすという。しかし一物をも持たぬ数寄になる。しかしこのわび数寄もやがて三転して「粋の心についたらされて嘘(うそ)と知りつつほんまに受けて」といういき≠ノなる。この媚態と諦めの不思議な螺旋運動のかもし出す恋心がおしゃれの母胎である。
第三章、小細工の末やっと案出されたおしゃれを見せられると痛ましい上に見る方が精神的蕁麻疹になりそうだ。法隆寺金堂の天蓋は健康なおしゃれの真骨頂に思える。蓋は「色葉字類抄」によればキヌガケと訳すから幡蓋と同様絹でもあろうかと思ったら実はヒノキ材で一々の形を彫り彩色したもの。吹笛弾琵琶おおどかな表情の音声飛天像とともに原始のおしゃれ心の典型である。私はこの古制の天蓋を仰ぎながらおしゃれとは魂の自由を求めて羽ばたく悩ましいあこがれの方程式であると考える。
(奈良学芸大教授 寺尾 勇)