美の脇役 二四

京都御所・御溝水(
みかわみず)  清澄な平和の象徴  
 



 京都御所は外苑をふくめて約九一六、○○○平方bほどあり、その周囲の苑地と公道との間には低い石垣がめぐらされ、 昔は苑地一面に親王御殿や公卿(くげ)の邸宅があったが明治の初めごろにことごとく取り払われ、白砂と青芝に現在のような清澄な苑地とされたものである。 そして厳格な意味での京都御所は白壁かわらぶき屋根つきの築地塀(つきじべい)で囲まれ南に建礼門東に建春門、西に宣秋門、 清所門(きよどころもん)准后門(じゅんごうもん)北に朔平門(さくへいもん)を配し、中に紫宸殿、宣陽殿、清涼殿、小御所、御学問所、御常御殿、参内殿、皇后御殿、 御花御殿、飛香舎(ひぎょうしゃ)春興殿、迎春殿(こうしゅんでん)御涼所(おすずみどころ)など十余の木造宮殿建築群を抱擁した平安王朝のおもかげを伝える貴重な文化遺産である。  そしてここでは数々の国家的行事が繰りひろげられ、ながく天皇が居住された場所であるが、 外部との境は築地塀をめぐらすのみであってわずかにその四周に幅九五a余りの浅い石畳の御溝水(みかわみず)を通しているに過ぎない。 ながく天皇の居住されたいわゆる宮城であったのに宮城建築ではなく、君民和楽の平和の象徴ともいうべき簡素な様式が採用されている。 巨大な池と楼門、さては巨石を積み重ねた城郭様式の徳川時代の建て物であった東京の宮城といちじるしく差異があり、権力と武力を背景とした将軍家の居城と対照的であるといえる。  さて、この御溝水は昔は遠く鴨川の上流より引き、相国寺の中を過ぎて今出川に至り、御苑北側の旧近衛邸の園地に注ぎ、 さらに一つは朔平門の東から京都御所の中にはいり、御所内の池に注いで南に出ており、 一つは築地塀の外側をめぐる石渠(せききょ・石造りのほりぬきみぞ)となって東西に分かれそれぞれ南流して淙々(そうそう)たるせせらぎをつくっていたが、 いまはこの水源は蹴上げの御所水道に代わり、そこから専用の水道管によって京都御所へ毎秒流量十立方尺(○・二七八立方b)の水を通し、防火用水や池水として使用し、 その残りを御所内より逆に毎秒一・五立方尺(○・○四一七立方b)だけこの御溝水として外部へ流している。この御所水道は明治四十五年五月に完成したものである。 そして御所を囲む御溝水の総延長は一三七○bで、この写真は宣秋門の外側から南に流れるところをとらえている。築地塀の線と石渠の白い流線とが幾何学的な美しさをしめしている。  一九六二年五月二八日 の記事より  

(石川忠・宮内庁京都事務所長)