美の脇役 六
不動院金堂天井(広島)
 奇趣満ちた風格  

 広島市の不動院は、市の北部、太田川から分かれた京橋川の東岸の近くにあって、郊外めいた静かな景勝の地に建っている。今は真言宗に属しているが、もとは臨済宗の寺で、足利尊氏が国家安泰をいのって諸国に建てた安国寺のひとつであった。すなわち世に安芸の安国寺といわれるのは、この不動院の前身にほかならない。  わたしは、かねてからこの不動院を訪れたいと思っていた。が、それは、ひとつには同寺に見るべき古建築その他の文化財が伝えられることによるが、今ひとつの理由は、安土桃山時代の禅僧恵瓊(えけい)がこの寺の住職であったということである。恵瓊は、毛利家の外交僧として有力なはたらきを示し、のちに秀吉に厚く用いられたが、関ヶ原の役に際して、大阪方の部将としてこれに参加したため、徳川氏に捕えられ、石田三成らと共に京都で刑死するという悲劇最後をとげた。このような恵瓊は、禅僧としては、京都の名刹東福寺の住持となり、関係寺院の興隆のために尽くすところが大き

かった。たとえば、建仁寺のために安芸安国寺から方丈を移築したが、さいわいこの方丈は現存している。この方丈には、桃山画壇の巨匠海北友松が障壁画を描いているが、わたしの推定では、おそらく恵瓊の推挙で友松が筆をとったものと思われる。  このように文化的にも深い関心のもたれる恵瓊をしのびつつ、わたしは昨年の秋の一日、不動院をたずねた。寺は、原爆投下のときの影響は多少あったらしいが、さいわいに大きな損傷はなく、金堂(国宝)、楼門(重要文化財)、鐘楼(重要文化財)などの建築をはじめとして、金堂本尊の薬師像(藤原時代)や朝鮮鐘などの重要文化財も無事で、往時の盛観をしのばせるものがあった。建築では、金堂がとくに立派で、室町時代の代表的唐様(からよう)建築としての貫禄を示し、端正で堂々たる風格を見せていた。奇趣に富むその内部構造もおもしろく、わたしは、堂内で思わず長時間をすごした。(一九六一年?月?日新聞切抜き記事より)  
   (京都工芸繊維大教授・土居次義)