美の脇役 二三
宇治平等院の鳳凰 十円玉に住む神鳥
毎日使用しているのに案外気付かないのは紙幣や硬貨の図案である。こころみに聞いて見ても正確に答えられる人はすくない。
毎日のぼり降りしている会社の階段の数を知らない人の多いのと同じ理由らしい。ちょっと十円玉を出して見ていただきたい。ほう、
十円玉とはこんな模様があったのかという人も多いでしょう。また、その図案を宇治の平等院の鳳凰堂だと答える人も少ない。
最近、宇治へ行かれた人は改修になった鳳凰堂の美しさに心から感動されたことと思う。私たちの祖先の残してくれた日本建築の偉大な産物の一つである鳳凰堂は、
いわゆる藤原時代に藤原頼通が造営したもので当時としてはまったく新機軸を出したものといえよう。全体の姿が鳳凰の飛翔する形になっていて類例のない立派な建造物で、
中央の大棟の両端に鳳凰を上げている。内部の絵画、彫刻ともに一流の名工の苦心の作であり、私たちのほこりとしてよい建造物である。
十円玉をだしてこの鳳凰の左右いずれが雄か雌かと聞く人があるが、左右まったく同形であり、どちらが雄か雌かはいえない。
大体、鳳凰は中国において漢の時代に初めてあらわれた空想の鳥で、神鳥であり、また瑞鳥でもある。鳳が雄で、凰が雌という説もあるが、
鳳凰堂のどちらが鳳でどちらが凰か不明である。
わが国へは仏教とともに入ってきた。瑞祥の鳥として色々なものに使用され貨幣においても現在の十円貨幣以前にも戦後すぐに出た五十銭黄銅貨幣、
昭和三十二年に発行された百円銀貨幣があり、また昔なつかしい大正、昭和の初期に流通した五十銭銀貨幣にも使用されたのもご存じのとおりである。
いずれにしても、日本化した鳳凰をそれ自体のみならず、建物全体をその姿に模した鳳凰堂こそ、わが国の世界にほこるべき建造物の一つとしてよいと考えられる。
十円玉を使用されるとき、たまには日本建築の優秀さを頭にうかべ、せいぜい大切に使っていただければと思うのである。
(造幣局技術長・葛城一郎)
平等院鳳凰堂
京都府宇治市にある。天台、浄土両宗の寺。河原左大臣源融の別荘だったものを、長徳年間(九九五―八年)藤原道長がのぞんで別荘とし、
さらにその子頼道がゆずりうけ、永承七年(一○五二年)三月、寺に改めた。当初は境内も広く七堂伽藍があったが、いまは鳳凰堂と釣殿と鐘楼が残っているにすぎない。
本堂の鳳凰堂は天喜元年(一○五三年)の建立で、阿弥陀堂建築の一例。翼廊、尾廊をそなえた美しい形が鳳凰に似ていることから、鳳凰堂といわれるが、
むしろ屋上にあげられた鳳凰の像から出たもとのいうのが正しい。