美の脇役 二八
秋 篠 寺 伎 芸 天 豊 満 の 天 女 
伎芸天在(ま)す寺にゆかり深うして
今日紫木蓮(しもくれん)の一木(ひとき)
納めつ
この私の植えたむらさき木蓮はもう一、二年前から咲いている。ひと気のない春の昼すぎ、あのほの暗いお堂の中からふと小首をかしげて退屈そうに、
いややるせなさそうに格子戸越しにその花を見ていらっしゃる伎芸天、そんなまなざしも思いえがけばこそであった。伎芸天にむらさき木蓮、私は似合わないと思うのだが―。
「国華」の記者は「体度豊満にして贅肉なく、容貌窈窕(ようちょう)にして阿娜(あだ)ならず。一見馴るべきが如くにして、諦視すれば畏るべく、敬すべく而して犯るべからす。
天女の妙想慈に極まる」などとうまいこと言っている。が、「窈窕にして阿娜ならず」だけでなく「阿娜にして窈窕ならず」というところもあるのでないか。
むかし川田順はこの伎芸天にぞっこんだった。
寧楽へいざ伎芸天女のおんまみにながめあこがれ生き死なむかも
五十年前の二十代の作だから無理もないがそれにしてもおめおめと
よくこんなことを言えたものだ。しかもこれあるがために順の処女
歌集の題は「伎芸天」だ。先年その歌碑をその寺に建てようとした
時、急にこれをひっこめ別の歌に変えた。作者はもとより秋篠寺山
主もあの歌ではと尻込みしたのだ。が何を恥ずるというのであろう。
「ながめあこがれ生き死なむかも」だからよかったのだ。つまらぬ
ことをしたものであった。
伎芸天の名称は寺伝によるもので、本来の形像は明らかでないそうだ。しかもその本籍は大自在天の髪の生えぎわから生まれたということになっている。
髪の生えぎわというのがややこしい。ちょっと日本の神々の生誕に似ているアフロディテや吉祥天の美女達のように生みの波から、い
や泡などから生まれたというのとは違うようだ、さればこそ伎芸天はどことなく肉体的に一番がっしりしている。
頭部は天平時代の乾漆造り首から下は鎌倉時代の寄木造り、運慶の修理作ということになっている。仏像はやはり人間と同じく何よりも顔が大寺だ。
その顔が天平のままに伝えられたことはありがたいが、しかし鎌倉形運慶式の腰のひねりぐあいにもまた別な魅力がある
(歌人・前川佐実雄)
秋 篠 寺 奈良市秋篠にある。光仁、桓武両天皇の勅願により宝亀十一年(七八○年)善珠僧上の開基。当初は法相宗で、のちに真言の修験道場となり、
近世に浄土宗西山派となった。はじめは七堂がらん完備した大寺だったが、保延元年(一一三五年)火災にあってからおとろえた。本堂はもとの講堂を鎌倉初期にしゅうりしたもの。
純和様の手法と均整の美をうたわれ、国宝に指定されている。本尊は木造薬師と両脇侍の三尊(国宝)