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古代人の心情が結実 法隆寺ゆかりの仏像群
四十八体仏
六世紀の中ごろ、わが国に仏教が公伝された時のことを、『日本書紀』では、百済の聖明王が使者を派遺して「釈迦仏の金銅像一躯・幡蓋若干・経論若干巻」を奉った、と記されている。
鏡や馬具、さらには仏像なども、当時は献呈され、あるいは下賜されるものだったのである。
東京国立博物館内にある法隆寺宝物館には、飛鳥時代から奈良時代に制作された五十数体の小金銅仏が展示されている。名付けて「四十八体仏」。かつて弥陀(みだ)四十八願になぞらえて付けられた名前である。
甲寅年銘の釈迦像光背(五九四年または六五四年)、辛亥年銘の観音像(六五一年)や丙寅年銘の半跏思惟像(六六六年)など、制作年代が推定できる像もある。わが国の早い時期における仏像の様式展開を知る重要な手掛かりとなっているが、それ以上に、わが古代人が「仏」というものをどのようにイメージの中に結実していたかということを示しているのである。
これはもともと法隆寺ゆかりの仏像群である。法隆寺に伝えられた金銅仏は、古き時代にあっては、末寺であった橘寺から移入されたものを含めて総計百二十体もあったという。
しかし、歴史の荒波になかにその数もだんだん減少していった。そして明治十一年(一八七八年)、法隆寺はその中から五十九体を皇室に献納した。
もっとも、そのとき献納した寺宝は「四十八体仏」ばかりではなく、「聖徳太子伝障子絵」などの絵画作品をはじめとして、数多くの書跡や工芸作品が含まれていた。これらの法隆寺に伝えられた文化遺産は、この時点で?
御物 ゛となったのであるが、そのほとんどが戦後の昭和二十二年(一九四七年)に国有となって下賜され、現在では東京国立博物館保管として公開されている。
私たちはしれらを見ることによって、遠きシルクロードのかなた、これらの美術品のふるさとに思いをはせることもできるのである
田中日佐夫 (成城大教授)
昭和六一年(一九八六)四月一二日 の新聞記事より
阿弥陀如来三尊像(「四十八体仏」の内)
