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権威を備えた装飾品 精巧な技法駆使し作る

日向国西都原古墳出土金銅馬具類

 芸術品、美術作品なども、普通の宝物類と同じように人の手から人の手へ、一つの世代から一つの世代へ、一つの時代から一つの時代へと手渡されて伝えられる。それはいつの時代でも、どんなジャンルの美術品でも、その作品が人の目に触れている限り同様である。この連載では、わが国の美術品のそういう面に照明を当てて、歴史の流れに沿って述べていきたいと思う。  東京・上野毛の五島美術館に所蔵されている考古資料の中に、いまも黄金色に輝く金銅馬具類がある。鐙(あぶみ)以外の主要部がそろっており、透かし彫りなどなかなか精巧な技法を駆使して作られており、国宝に指定されている。  馬具といえば仏教が公伝され、仏像が作られるまで、わが国では最も権威を備えた装飾品であり、それだけに高度な新技術を誇示して作られるものであった。  そしてそういう性格をもつ馬具類は、古墳の内部に副葬品として納められるものでもあった。  この馬具類は、大正時代前半に発掘調査がなされた宮崎県西都原(さいとばる)市にある三百二十九基に及ぶ西都原古墳群の中の一基から出土したものという。それが昭和十年代に京都で膨大な書跡や考古資料を収集していた名家・守屋家の所蔵するところとなっていた。 「国宝・重用文化財総合目録」(文化庁)によると、これは昭和十年に旧国宝に、三十一年に新国宝のしていされている。そしてモリヤ孝蔵旧蔵という注記がある。  守屋孝蔵没後(二十八年)そのコレクションの一部は守屋家から移動していたが、それを一括して購入できないかと希望したのが、五島美術館のコレクションを成し遂げた実業家・五島慶太であった。五島は三十三年十一月に東京・麻布の古書肆(しょし)・村内四朗に依頼し、村内の大変な努力によって集めたものを、翌年六月二十日に購入することを決定し契約を取り交わした。  旧守屋家コレクションは、五島美術館の重要な館蔵品の一つとなり、私たちに公開されているのである。

田中日佐夫(たなか・ひさお一九三二年(昭和七)岡山県生まれ。立命館大大学院修了。 成城大教授)
昭和六一年(一九八六)四月五日 の新聞記事より


      金銅透彫杏葉              金銅透彫雲珠